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墓参り |
お久しぶりです お盆休みも終わり、業務も無事にスタートしました
この盆は実家の高松に戻ってました 1泊だけだったのですが… で、「お盆といえば墓参り」 ということで一つ気になる所に行ってきました

香川県高松市の牟礼町というところに「王墓」という地名がありまして 僕も全然知らなかったのですが 「神櫛王」という皇族のお墓があります(宮内庁管理 ちょうど北にあがったところが、今や観光地となってる 「世界の中心で愛をさけぶ」のロケ地でもあったりします(笑
この王墓、古墳のようになっており、周りは堀がありました

そんでもって奥に入ったところに

こんなかんじ
ま、墓なんて見てもつまんないんですが(すいません… なんでこの神櫛王のお墓参りをしたかというと、 この神櫛王が讃岐の国造の始祖と言われており、 まぁ遠い先祖かもしれないという話であります 家系図的には讃岐氏の後すぐに出てくる氏に「植田」が出てたりします(参照 ちなみにヤマトタケルノミコト(日本武尊)の異母弟だったりします
で、一番気になったのがこの人の別名、 「讃留王(されるおう・さるおう)」と呼ばれていたようで(香川の東側【東讃】での説 西讃では日本武尊の息子が讃留王と呼ばれてます
なぜ「讃留王」かと言うと、讃留王伝説という話がありまして要しますと、 人を食ってしまう大魚が四国で大暴れ ↓ 景行天皇が「ユー!退治しちゃいなよ」 ↓ 神櫛王が退治しに行っちゃった ↓ 神櫛王が大魚に食われちゃった ↓ 胃の中で暴れてやった ↓ 「大魚捕ったどー!」 で、そのまま讃岐を治めることを命じられ、 讃岐に留まる王→讃留王とまぁ呼ばれたわけであります 「さるおう」ん?「サルオウ」ん?「サル王」? あまりにも当て字すぎるのでは? もしかして桃太郎に従った「サル」のモデル「讃留王」なんじゃ? なんて説も出て来てるわけですが(参照 他にも吉備(岡山)が四国に攻めて来たのを讃留王が治めたとか…
まぁ長々と書きましたが 何が言いたいかと言いますと 讃岐の始祖なうえに、あだ名が「サルオウ」って サル年で「サルのように軽いフットワーク」を目指し、 ロゴにまで猿を入れた植田屋としては親近感が湧いただけのお話です(笑 ちなみに讃留王を知ったのは讃岐の植田氏を調べてて偶然発見しただけっす 実家の近くに「植田城」というのがあったり…と まぁルーツをたどってみたくなった今年のお盆でありました
またしても1ヶ月放置してしまったことを取り返すべく 長文をダラダラと書いてしまいました…すいません… 次回は讃岐にある日本最古の石積式マルチプルアーチダム 「豊稔池ダム」に行きたいなと思います…来月くらいに(←懲りてない
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